みんなそれぞれ経験してきていることが違っていることから、全く同じ 意見が出てこないのだという風に感じた。
前回課題となっていたみなさんの内容をみて、ほんとうに様々な視点が あって面白いなと思った。同じ疑問でも仮説が異なっていてCが全く違 うものになっていて、同じ議題について考え、意見交換するときに新し い発見があるのはこういう過程からなのだとわかった。
他の人が考えた科学のABCを見て、自分では思いつかなかったような疑 問やなんとなくメカニズムを知ってしまっていた現象でも斬新な意見を 聞くことができた。今まで30人規模の意見交換が最大だったが、全員 分ではないとはいえかなりの人数の考えを見れた。
自分でも気にする事がないような疑問点が他の人の科学のABCであげら れていて、とても興味深かったです。自分にはない考えを聞くことによ り、新しい思考の領域が展開されて、他の人の意見を聞くのが楽しかっ たです。また、他の人の仮説の立て方や支持の仕方、また、定義の仕方 を聞いてみると、自分にはなかった新しい考え方や思いつきがあったの で、他の人の考えを聞いていると、自分の中の知識であったり、考え方 の幅が広がると感じたので、とても聞いていて興味深く、為になる内容 であると感じました。私の高校のときの英語の先生は、普通は「個性的」と翻訳される unique(ユニーク) を「唯一性」と訳していらっしゃいました。なんとなく、ほんわかしたユニークという言葉のイメージが、非常にシャープに感じ取られたことを覚えています。みなさん一人ひとりが、「唯一性」を持った存在です!
他の人の仮説と検証を聞いて、自分の考えるべき力の無さを実感した。 テーマが、日常における、と言うことだったので、誰もが一回は遭遇し たことのある状況での疑問で、身近に感じられた。その通りですね!
何よりも遠くの山を見ている時の景色を表現できていることやそれを言 語化して遠いものは青く書かないといけないと伝えていたのはすごいな と思います。言語化力は鍛えられるきがするのですが観察眼とは鍛えら れるものでしょうか?
レオナルドダビンチは天才だと思いました。あんなにクリエイティブに 物事を考えるにはどうしたらいいのだろうかと思いました。まず、観察眼が鍛えられるか、ということについては、できます!と答えたいです。観察眼は、おそらく後天的です。だとしたら、生まれてから科学のABCのようなプロセスを通じて、観察眼が養われたに違いない。そうであれば、だれでも鍛えられることができるはずです!ただ、レオナルド・ダ・ヴィンチのようになれるか、というと、数100年に一人の天才になれる、とは、簡単には言えません…。
先日あるテレビ番組でモナリザについて特集しているコーナーがありま した。そこでは、何年もかけてモナリザという作品を描いたレオナルド の細さや繊細さについて紹介されていました。時々、巨匠は仕事が遅いです。実績がある人は仕事が遅くても許される、という側面があります。まずは実績づくりが必要かもしれません。
美術の分野で様々な工夫を凝らしたのがキリスト教に対する信仰の大き さからではないかと考える。人が頑張るとき、自分のために頑張るよりも、自分が大切だと思う人のために頑張る方が、より頑張れるのかもしれませんね。
以前も「遠くの山は空の色と似て、青いだ」ということが気づいたこと がありますけど、その時は山に霧がかかって、山が隠れているから山の 色が薄くなったのかと思っていました。
私自身絵を描くことが好きで、小さいころから絵を描いている。一時期、 地元新潟の風景を水彩画によって描いていた。遠くの景色を描くときに、 物体のサイズを変えるだけだとだめだと思い、自分が目で見たことのあ る情景を思い浮かべて、描いた。すると自然に遠くの山脈は、付近の空 気の色を青くしていた。実際にそう言えるからである。
「山が遠くなるにつれ青を濃くしていかなければならない」と聞いて、 小学生の頃林間学校の目的地だった富士山のイラストを麓は青(水色)、 頂上付近は白で描いていたことを思い出した。この点から、人は誰に 言われるでもなく自然の仕組みを自分の解釈をもってして理解してい るのではないかと考えた。
遠くの山が青く見えるのは当たり前のように思っていました。しかし考 えてみると、昔風景画を描いた時は緑色に塗った記憶があります。山= 緑という固定観念のせいでそのようになったのだと思います。余談です が、富士山は青色のイメージが強くついているので、富士山が実際に青 いと思っている人がいるかもしれないと思いました。みなさん、空気遠近法の話を、自分の体験と結びつけて語ることができたことが素晴らしいですね!自分の体験に基づいて空気遠近法を理解できたことは良いことです。
先日ディズニーシーに行った際、大きな建物が見えたのですが、近くに 寄ってみると意外と小さいことに気づきました。子の遠近法と少し似た ようなことが起きていると思います。遠近法の様々な技術は、私たちがそれと気づかなくても、自然と遠くに感じたり、近くに感じたりすることを、明確に示しているようです。
空気が青いから青空になるみたいですけど、空は赤くなったり黄色くなったりしてた事を知りました。ちょうど、先週、皆既月食(+惑星食)がありました。皆既月食であるのに月が真っ暗にならないのは、地球には大気があって、その大気が赤く輝いていることと関係しています。詳しい話は授業で。
木漏れ日が丸いという内容では、影の輪郭が丸くなるということでぜひ 自分自身で観察してみたいと思いました。
木漏れ日が丸いのは太陽が丸い何関係しているのがとても興味深かった。 次日食になる時に注目して色々な光の当たり方を見てみようと思う。
日食の日の木漏れ日の形が三日月のような形なのはとてもびっくりした。私も木漏れ日の形が太陽の形だと知ったときには驚きましたし、日食のときの木漏れ日の形には「ああ、本当にそうなんだ」と思った記憶があります。ぜひ、次の日食の機会を捉えてください!(ちなみに、2023年4月20日には、日本の南部で部分食を見ることができます。その次は2030年?)
私の考えとしては葉っぱと地面との距離により葉っぱの角がぼやけて丸 くなったとおもっていました。しかし、金環日食の日の木漏れ日をみる と丸ではなく、三日月状になっているのに驚きました。木漏れ日が丸い 理由は太陽が丸いという事実にも驚きました。この写真は、テニアン島で撮影したものを拝借したものです。このときの日食は皆既日食で、皆既日食の前後では部分食になり、このような木漏れ日が観察されるわけです。
木漏れ日が丸いのは太陽が丸いからであり、日食の日の木漏れ日は三日 月の形をしている。これは検証することが不可能だと思うが、他の形だっ たらどうなるのか気になった。この授業では、度々、「一度言語化されると応用できる」という話をしています。理屈がわかれば、似たような状況を作って実験することができます。 https://drive.google.com/file/d/1S-JeyHx6yLDSI72k709exHTmhK1K7nR-/view?usp=share_link
春学期に履修していた「科学論入門」という授業で理系分野の学問は元々 「自然哲学」という哲学の一分野扱いだったという話を耳にしていまし た。今回の授業でもその話が出てきて点と点が線でつながったように授 業と授業がつながれたような感覚になりました。「科学論入門」の授業 では、哲学から諸学問が派生していったのだと解説がなされていました。 古代ギリシアの人々は、「思考する」=「哲学」という学問の括りをし ていたそうです。それから時代を経るにつれて細分化されていき、現在 のような細かい学問分野の括りになったそうです。この授業で学んだことを、自分の知識や体験と結びつけて考えることができましたね!Philosophy は、知を愛す、という意味が語源ですね。
授業内で原爆や水俣病について少しお話されていたが、日本人なのにほ とんどわからなかった。私たちの子供の世代にも伝えていくべき内容に ついては自分で調べて把握しておくべきだと思った。「歴史は繰り返す。一度めは悲劇として。二度めは喜劇として。」とはカール・マルクスが言った言葉です。1回目は残念ながら起きてしまったとしても、それを教訓にしないで、2回目が起きてしまったとしたら、それは人間の愚かさを表す喜劇としか言えなのではないでしょうか。原爆も、水俣病も、もし、繰り返されるとしたら、1回目を教訓としてないからです。1回目を教訓とするためには、少なくとも私たちは、それを学ぶ必要があるはずです。
テレビの自動運転のCMを見ているときはもっと自動運転が当たり前にな ればいいと思っていたが、確かにAIなどが社会的に当たり前になってい くうえで誰かが責任を放棄することになる可能性もあるのでしっかり考 えなければいけないなと思った。授業で強調したように、交通事故では、毎年、数千人が亡くなっています。10年ほど前は、約1万人でした。そして、事故の原因のほとんどは、「うっかり」です。人間ですからね。でも、それで年間数千人が亡くなる社会は異常ではないでしょうか。これらの人の命は、私たちが自動運転についてしっかり考えていくことで救っていくことができるはずです。