#author("2021-11-26T12:59:36+09:00","external:moriat","moriat") #author("2021-11-26T13:00:23+09:00","external:moriat","moriat") #topicpath ** 第09回コメント [#p49424c3] *** 統計的な考え方 [#y1763e6b] --- 今日の講義では、先週からのシェルドレイクの仮説の補足の部分の説明が印象的だった。(中略) 二項分布のグラフを実際に用いたシェルドレイクの仮説の説明は確率論の導入として面白い例え話になるなと思った。~ --- 人間は思っていること、信じていることの方向に事実を曲げようとしがちというのは、確かにそうだと思いました。実際私の母は、東日本大震災のとき、「地震が来る前に地震がきそうな黒い雲を見た」と言っていました。 ~ 特に人間や社会を扱う場合、統計を正しく使うことは強力な手段になります。 機会を捕らえて皆さんに勉強してほしいです。 ~ *** 卒業研究 [#k203ab98] --- オニカラスムギの卒業論文の件では、思わず僕にも出来てしまいそう!と感じました。科学のABCが体に染み付いてきてから、物事が理路整然と感じられるのがこの授業を受けてよかった点の一つです。~ --- 卒業論文の話があったとき、科学のABCを用いることによって、読んでいる私たちにも伝わりやすい論文になると思いました。私も論文を書く時が来たら、この科学のABC を用いて書きたいです。 ~ ぜひ! ~ --- オニカラスムギの実験では、仮説を立てることもそうですが、検証する方法を見つける事が難しいと感じました。 ~ 検証の仕方はいろいろあります。あまり気張らず、気楽に考えてください。 ~ *** 「プロ倫」 [#decf8fca] --- 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は読もうとして諦めた過去があるので、もう一度頑張って読みたい。~ --- ヴェーバーの言うようにB(仮説)だけで判断してはいけないと感じました。私は社会学に興味があるため今日の講義の内容はとても面白かったです。 --- 民族、国の違いが原因かを調べるために同じ国で比べるという方法は日常の問題の原因を調べるためにも使えるなと思った。 ~ ヴェ―バーは頭のトレーニングが非常に良くできているように思います。 ~ --- 同じキリスト教でも、カトリック教会とプロテスタントでは、資本額がかなり違うことに驚いた。 ~ 現在でもそうだ、ということではなく、資本主義の発達初期にそういったこ とが有利に働いたのではないか、という指摘であることは、改めて強調した いと思います。 ~ --- プロテスタントとカトリックの話で、高校の時にプロテスタントとの教えは、商人に好まれたと言う話を聞いたのを思い出し、プロテスタントの方が所得が多いのは、商人が多くプロテスタントに所属しているからではないかなと思った。 ~ ヴェーバーの研究は、商人だからプロテスタントになった、ということでは なく、プロテスタントだからお金が溜まった、という話でした。逆に商人が 宗教を選んだか、は、ちょっと別の話になりますね。 ~ *** 「社会科学」と「人文科学」と「自然科学」 [#d39dd156] --- 私は社会学が学びたくてLA学群に入学したので社会学と科学の関連には興味深かったです。~ --- 社会学は目的と手段を考慮する独自の視点があるという点が印象に残りました。 --- 今回の授業は文系理系の根本的な違いを感じる授業でしたが、どちらにせよ科学のABCによる仮説検証のプロセスは重要であり、学問を成立させるためには重要なのだと改めて感じました。文系科目を科学的側面から考えることは思考の偏りを減らすことができ、価値観を豊かにできると思いました。~ --- 秋学期は社会学を履修しているので、そこで学んだ事象にも、今回のヴェーバーのように科学のABCを応用できるのではないかと思いました。その場合は、ヴェーバーも言ったようにABCのBだけで結論を出さないように気を付けたいです。~ --- 今回の講義で最も印象に残っていることは、人間の自由意思が入るものを科学と考えてよいのかという点だ。社会科学独自の視点として、「目的と手段」があることで、逆に起きた現象の意味がはっきりするという話があり、面白いと感じた。(中略) しかし一方で、人間のとった手段に対し、目的を一つと考えることは難しいと感じた。同じ行動でも人それぞれに異なった目的が存在したり、自分でさえも本当の目的を隠し偽りの目的をたて、手段をとってしまうこともあると考えたからだ。人間の行動、人が起こした現象は、複雑で因果関係が不明瞭であるということを感じることができた。 ~ 科学のABCの考え方は非常に強力で、説得力のある合理的な議論ができます。 特に自然科学や技術は、そうして発展しました。しかし、それだけが方法と は限りません。それぞれの学問分野には独特の方法があります。だから、学 問分野で良し悪しがある、とは言えません。 ただ、何が反証可能か、そうでないか、科学のABCとして成り立っているか どうか、は、チェックのために気をつけたい観点です。 ~ --- 科学と非科学を明確に区別するのは望ましくないと考えています。反証可能であってもそうでなくても日々研究対象にたいするアプローチは増えており、研究にも進展や新たな発見があります。「研究対象があり、法則があり、それについて議論を戦わせること」ができれば、それは科学だと言えるのではないでしょうか。~ --- 科学と非科学を明確に区別するのは望ましくないと考えています。反証可能であってもそうでなくても日々研究対象にたいするアプローチは増えており、研究にも進展や新たな発見があります。「研究対象があり、法則があり、それについて議論を戦わせること」ができれば、それは科学だと言えるのではないでしょうか。 ~ 科学は誰もが納得するような示し方をすることで問題を解決してきました。 ところが反証不可能な事項については、確定的なことが言えないのではない か、論拠に基づく議論できないのではないか、という疑問があるわけです。 ヴェーバーが指摘するように、仮説を並べて議論だけしても結論には到達し ないのではないか、ということです。そこで、何が言えて何が言えないのか、 より明確にする必要がありそうです。 ~ *** 反証可能性 [#p7725206] -- 科学とは --- 今日の授業では、カール・ポパーが唱えていた科学の有する条件として反証可能かどうかが第一であるというのはとても納得が出来て印象に残りました。反証することで検証することがかなわないと偶然の出来事であったり不明瞭なことであっても確認が出来ないことで批評することが出来なくなってしまい、論理的な議論が出来なくなってしまうと思います。なので、説を唱える側にとっても意見を述べる側にとっても反証可能かどうかはとても重大な要素であると思いました。~ --- 科学とは何か?この問いは自分が大学生だからこそ出来る貴重な疑問だと思っています。私は科学のスッキリするところが好きです。それはおそらく反証可能なものが科学であるという考えが根本にあるからかもしれません。 --- 気象学が科学とは違う例を出されて確かに反証できないものは科学ではないと考えた時に社会学も科学とは少し違うものなのかと考えるようになりました~ --- この世には、事実に対して立証できるものとできない2択に別れているんだという発見がありました。反証できない事例は他にどんなのがあるかなと想像力が掻き立てられました。~ --- 私は今まで古生代の生き物などは科学の分野だと思っていました。ですが、実際その時代を知っているわけではないので、検証のしようがないです。検証が不可能なものは科学ではないという位置付けは、難しく感じてしまいました。~ --- 気象学が「第三種の擬似科学」というのは初めて持った視点だった。 --- 気象学と社会科学は一般的には、疑似科学として扱われているとわかった。宗教学とか神話学は反証できる可能性がないため、科学的な研究とはいえないのではないかと思った。 ~ 古生物について、指摘してくれたように「反証」不可能な問題設定もあるか と思います。しかし、限られた範囲で、科学のABCで言えることはあります。 例えば、鳥盤目と竜盤目のどちらが鳥類に進化したか、については、BもCも 行われています。気象学や宗教学などについても、頭から、学問分野まるご とを否定することを推奨するものではありません。個々の問題について、反 証可能か、丁寧に考えるのが良いと思います。 ~ -- 人生の選択 --- 今日の授業を聞いて、日々の選択を今しかできないもので振り返ることが出来ないと認識して生活していく必要があると学んだ。科学のABCから人生の考え方まで教わるとは思ってもいなかったから、驚いた。~ --- この「反証不可能」という言葉は今回初めて聞いたので、一見とても難しく感じましたが、事例を知ったら結構身近なものでした。自分でも、あの時こうしておけば良かったと後悔することがありますが、それも反証不可能なことに含まれるんだろうなと思いました。 ~ 私たちの選択を科学した人もいます。次回の話です。 ~ --- カール・ポパーの「反証可能でなければ科学ではない」と言う事はその通りだと思いましたが、私はいつかは今まで反証不可能だった事例が反証可能になると思っていて、そうしたらこの世の全ては科学だったと思う日が来ると思っています。事例の出会いについては近い将来、性格診断や人間の行動分析などでなぜその人と出会ったかが証明されたり、他の人と出会う確率や出会ったらどうなっていたかなどが分かる様になるとして、今は反証不可能であっても、いつかは必ず反証可能になると思っています。 ~ この件については、実は「物理学概論」という授業の隠しテーマと関連して います。そのテーマは「決定論」です。人間の行動がどこまで決定論である と考えることができるか?それは、わたしにとっても謎です。 ~ *** なぜ学ぶか [#x7db4ad5] --- カール・ポパーの「反証できなければ科学とは言えない」ということに、なるほどと感じた。池内了の本にも、科学的な考え方から導き出された結論は反証できなければならないということが書いてあったように思う。そのため科学のABCに人間が絡んでくるものは、適用することが難しいと考える。今回のフィードバックで仰っていたように、人間は自分の信じているものや経験から作り上げたストーリーに固執してしまうため、意識しなければ客観的に見ることができないと思った。自分だけではない多くの人びとが絡んでくる選択は、たとえ受け入れたくない情報があったとしてもそれを確かめながら、客観的に判断する必要があると学んだ。 ~ その通りですね。私たちは人間で、どうしても間違ってしまうことがある。 その上、人間について科学的なことが言えない場合がある。それを承知した 上で、できるだけ客観的に正しい議論をしないと、悲惨なことになってしま うことは、歴史が証明しています。私たちがしなければならないのは、非常 に難しい問題であると言えます。 ~ --- もちろん、明るい未来が全く来ないとは言えませんが、技術の進歩が間違ったことに使われてることは無いとも言い切れません。科学の技術の発展は止めることができないという話がありましたが、それを扱う私たちの判断次第で世界は良い方向にも悪い方向にもいくのではないかと思います。 ~ 現在、例えば遺伝子操作や原子力について、このままではいけないのではな いか、と思わせるほどのレベルまで科学も技術も発達してきています。それ を止められるのは、私たちだけです。ところが、そうした認識を持つために は、知識を持っていなければなりません。私は学ぶ意義はそこにあると考え ています。 ~ *** その他 [#yac8a63d] --- 余談ですが、授業冒頭にあった、古代メソポタミアの文献にも「最近の若い人は…」と言う愚痴の記述があると言う話はユーモアもあって非常に面白いと感じました。 ~ 「最近の若い人は…」と言われたときの返す言葉として覚えておきましょう。 本当にそんな記録があるかはわかりませんが、対抗手段として有効でしょう。 ~ -- 池内了 --- 池内さんの「なぜ科学を学ぶのか」という本を以前に読んだ。もう一度読み返してみようと思った。 ~ 私も面接試験の課題図書なので読みましたよ! ~