第13回 コメント †
勉強について †
- 勉強しようと思った!
すばらしいコメントですね(個人の感想)!
- 「悲惨な過去を繰り返さないために学ぶ必要がある」という至極当然の話であり、論理的な帰結だ。しかし、この講義を学んできたことによりこの学ぶ理由はおおきく色づくと考える。
私たちはまず、科学の方法論である観察し、仮説を立てて検証しながら科学のABCを回していくことで考える癖をつけることを学んだ。また、この方法は生まれながらに行っていることであり、生理的な欲求のようなもので止められないことや、考えるときには倫理と直感では直感が勝ってしまうというような注意する点を学んできた。さらに、選択という観点で選択が人生にとって重要であるとともに、合理的でない選択をしてしまう要因が多くあることを歴史上で実際に起きてしまった悲惨な過去から学び、選択しないということはもっと残酷なことであることも学んだ。また、選挙の話などを通し国がしていることは私たちの選択の結果であり、誰かの責任ではなく自分たちの責任であることを学んだ。科学と技術が両輪である以上、一人一人がより良い選択をしていかなければ悪循環に陥りどんどんと現状から離れていってしまうことの恐ろしさを学んできた。
このようなプロセスを経たことから「学ぶこと」の大切さを強く感じることができ、自分自身が変わっていかなくてはいけないと考えることができた。
- 先生も授業中におっしゃっていましたが、核のビデオを見て世界の科学者が被爆者の惨状を知らずにただ核を科学的な面のみでしか知らなかったことに少し失望してしまいました。これも「知らなかった」では済まされない事だと思いますし、日本で起きた原爆の被害もこれからを生きる私達はどれだけ悲惨でも同じ惨劇を二度と繰り返さないように学んでいかなければならないのだなと改めて感じました。
- 「核なき世界を」について、人類を前に進める研究が目の前で人類を滅ぼすものになってしまう。現代は核でバランスを取る世界になってしまった。それは被害を受けた日本が核を持たないことを主張するファーストペンギンになる必要があると感じた。被爆直後の映像を見せることによって、核の惨状を知らないことが明らかになった。自分を正当化するのは怖いと感じた。自分自身も勉強しない分野があることは自分を正当化してることだとおもらざる負えなかった。世の中に学ばなければならないことはたくさんあるが、手に届くものから学んでいきたいと強く感じた。
- 私はまさに好きなものだけを求めて生きてきた。今までは全く問題はなかった。(中略)人間は無意識的にそうやって考えることから逃げてきてなにか問題が起きて初めて考えるから極端な考え方になってしまうのだろうと経験を通して思った。この何のために学ぶかというテーマは言い換えれば何のために生きているのかという人間としての最大のテーマであると思った。
- 原爆を例にとって、気づいたら科学者を評価する立場として考えていたが、自分に人のことが言えるのか?そう考えさせられる授業でした。(中略)ゼミの先生と話していた時に、リアクションペーパーひとつにとっても、知識の重要性が大切であるという話を聞きました。前提とする知識がないとコメントすらかけないこともあるので、学びを大切にする気持ちはずっと持っていたい。
- 友達と話していてみんなが「知らない」という物はいくつもありました。その時自分は安心してしまいました。逆にみんなが知っていることを知らなくて焦った事もあります。その時は必ず自分の中で言い訳をしてしまいます。話を聞き始めた時は自覚していませんでしたが、自分にもそういう面があることはしっかり認識し正していかねばならないと感じました。
孔子の言葉は私によく刺さりました。新型コロナウィルスが流行り始めた時にただの風邪で大した物ではないと良く調べもせずに思ってしまっていました。ここまで生活に影響を与えられるような事態になるなんて考えていませんでした。「勉強せずに考えることは危険である」というのは非常に耳が痛いです。
- ビデオを見て、パグウォッシュ会議に参加した科学者たちが、原爆の悲惨さを知らずに議論していたことに驚いた。自分の選択に関わることでさえ知識を持たず、目を背けて知ろうとしないのは、自分を正当化してしまうからだと学んだ。
これまで行った選択を振り返らず正当化するのは、自分にのしかかる責任や負の側面を知ることが怖いため、良いものだけを見て思い込みをしてしまうからではないかと思う。その結果、二度と元には戻らない現状や原因を知ることなく、再び同じことを引き起こしてしまうのだと考える。自分の行った選択を振り返ったり、過去に起きた出来事を学んでいくことが、正当化せずに責任を持てるようになる一歩だと感じた。
- 今日の講義では、学びたくないものから逃げ続けていないかという話が心に刺さった。以前先生が講義中に話していた、選挙についての話。正直私は政治に関心がなく選挙もいかないし、行ったところで誰に投票して良いのかも分からない。政治に興味関心がないから逃げているのだ。しかし、自分で判断をすることが出来るようにそう言ったことを学んで自分の意見を持つことが出来るようにしたい。学びたくないことも時間を見つけて学んでいくことが大切であることを知った。
- 科学者には倫理を学ぶべきと言うことを自分は確かにそうかもしれないと思って聞いていましたが私も生まれながらにして科学者ということで知らずに考えているということがありハッとしてしまった。
私も世間一般的に間違った科学者だと言うことに気づいた。
- 最後に先生がおっしゃっていたように、興味のないことには目を向けず好きなことや自分の興味のあることを学ぼうとする正のフィールドバックを行なっていると感じました。特に大学では、自分の興味のある分野を自由に選択することができるので、好きなことはもちろん常識的な知識や過去に日本でどのようなことが起きていたのか積極的に学んでいくべきだと思いました。
- 好きなことを学ぶだけではなくて、知らなければならないことも勉強しなくてはならないと思いました。原爆や原発については高校以来あまり詳しく知ろうとしていなかったため、また同じことを繰り返さないようにもっと知っておく必要があると思いました。「勉強しないで何かを考えることは危険だ」という言葉が心に刺さりました。たくさん勉強して色々なことを知ることで、色々な視点から物事を考えれるようになると思ったので、勉強を頑張ろうと思いました。
- 今回は何故勉強しなければいけないかという問いについての答えを知ることができました。勉強とは学校の授業だけでするのでは無く、人生という長い時間をかけて学んでいくことなのだと学びました。世界には知らなければいけないことを知らない大人が多すぎるので、そんな大人にはならない為に私は勉強したいと思います。
- 大学に入学して自分に興味のある科目を履修すると、その学問だけでは足りず自分の苦手な分野の科目にも繋がっていることが多いと感じています。なので興味がないから知らなくてもいいわけではなく、勉強して自分の知識を広げるという正のフィードバックが働いているなと感じました。
- 私は中学生のころからずっと数学が大嫌いで、正直数学関連の科目の履修は避けようと思っていました。なので、今回「学びたくない物から逃げていないか?」と問われた時はギクッとしました。逃げてばかりでは結局何も得られないということを改めて感じました。
- 今回の授業を受けて、本当に好きなことだけを学べば良いのかというメッセージに私は改めて「学ぶ理由」について考えさせられました。どんな状況でも良い面だけ見てればよいわけではないと私は感じます。
- 学ぶ理由として授業中に紹介していた言葉で、
勉強して考えないのは世の中はっきり見えないという言葉と勉強しないで考えるのは危険だという言葉に関心を受けました。
何事も先入観や勝手な想像で決めつけちゃいけないなと思いました。
- 科学者は負の面も学ばなければならないという意見は私も持ちました。しかし、その意見を自信を持って言えるほど、私は原爆や原発についてよく知らないと反省しました。
現在履修している日本国憲法で、私は専門ではないしテストだけ乗り切ればよいかなと少し思っていました。しかし、今日の講義を聞いて苦手なことであっても知らなければならないことであると思ったため、分からないところは自分で調べて、知識を吸収しようと思いました。
福島の原発事故が起きたときに、これほど危険なものが使われていることを知らなかったと驚く人々がいたという話を聞いて、知識がないと自分の身も危険な目にさらされる可能性があるのだと思いました。自分の身を守ったり、他者の意見を正しく理解するためにも、自ら積極的に学んでいきたいと思います。
- 今回の講義を踏まえて、裏テーマであった勉強することについて深く考えることができました。動画で見た、核抑止理論を指示していた科学者たちは、核の開発に携わっていながらもその実態については何も知らなかったという様子を見て、無責任であるなと感じました。しかし、これは私たちにも当てはめて考えることができます。原発や屠殺など知る機会があるのにもかかわらず、目を背けてしまったことは、自分も彼らと同じなのだと考えました。自分を正当化する理由にしがみつくのではなく、事実に目を向け、行動することが大事なのだと考えました。湯川氏のように、辛抱強く自分の意見を突き通し発信し続けることは容易ではないと考えます。科学者としての責任を全うし、世界の平和を願い続けた彼の行動はとても勇敢であったと感じました。私は今日の講義を通して、他の講義では得られないことを多く学べているなと強く実感しました。また、これからは目を背けず現実を知ることから始めていこうと考えました。
- 私も学びたくない。知らなくてもいい。と思うものの授業をできるだけ取らないように履修を組んでしまいます。でも学びたいものの中には学びたくないものを学ばなければならない内容のものもあり少し嫌だな。めんどくさいなと思うこともあります。ですが、今後の生きていくん人生の中にで自分自身をグレードアップさせていくには学ぶことが一つの方法なのだと思っています。
- 私は、戦争や核兵器に関して特にあまり深く考えたことがありませんでした。しかし、湯川の1日1日の血のにじむような努力、訴え、行動を知り、無知な自分を恥じました。同様に、科学者たちは原爆の現状を全く知らずに、共存できるとかそういう考えや議論をしていたということに恐怖と嫌悪感と情けなさを感じました。
湯川は周りがどんなに変わらず、理解をしなくても、自分の考えを見失わずに貫き通し、訴え続けた…たとえ困難なことも継続して努力することが本当に大切なんだと思いました。そして、自分の興味のある分野に関して理解を深めることはもちろんだけれど、興味がなかったり知らなくてもいいと自分で正当化している分野に関しても、勉強し理解を深める必要があることを学んだ。
- 湯川さんが、「みんなの考え方が変わるのが遅いなと思う」と話していましたが、私もそう思いました。映像を見るまで湯川さんに賛成する人が増えなかったということも、それまで核抑止力を信じていた人が多くいたということだし、想像力が足りないのではないかと思いました。
また、虐待、いじめ、環境問題などで多くの人が死んで社会問題に発展してからじゃないと国は動かないような印象があります。最悪の事態が怒ってからじゃないと法律や条例も作れないのはどうしてなのだろうと思います。人が死んでからでは遅いし、あとから法律ができても犠牲になった人々は救われません。核兵器に関しては、核兵器による酷い歴史がもうあるのに、まだ無くならないことも理解できないです。湯川さんのように、平和のために行動する人がもっと増えて欲しいと思ったし、私もそうでありたいと想いました。
酷い歴史ややりたくない事からは目を背けたくなるし、嫌な気持ちになるから知りたくないと思ったりもしますが、知って、今学んでいることを結びつけることで、物事の本質を見極める力をつけ、それを後世へ受け継いでいくことが大切だと思います。
- これまで、自分の行動をたくさん正当化してきたし、間違いを見過ごしてきた。その中には自分の人生を変えてしまうようなものや、他人を馬鹿にするようなものもあったと思う。今日の授業を受けて、これまでの授業が全部つながった気がして、私個人としての「人間理解」が深まったのではないかと思う。
湯川秀樹が生涯をかけて訴えてきた核廃絶の意志がいまだに達成されていないことが世界的に深刻なことだと考える。これからの地球の将来を考えて、「勉強し」「考えなければ」ならない問題だと思う。勉強しよう。
- 原爆の実験というともっと周りにわからないぐらいかと思っていましたが動画の中で地面がすごくもりあがって山や建物が跳ねるほどの衝撃があっていくら実験とはいえ危なすぎると思いましたし、核実験が行われている。というのを知ってはいたけれどこれほどのものとは知りませんでした。これまで核について歴史の授業などで昔からやってきていたけれどもしかしたらまだまだ核について知らないのではと思いました。正直心のどこかで自分の生きているときには戦争なんて起こらないだろう。核兵器が降ってくることはないだろうと思っていましたし焦る気持ちがわいたことはありません。ですが今日の先生の話を聞いて被害にあった日本での意識がもっと高くなってほしいなと思いました。
今の時代には昔よりも情報を伝えることも受け取ることも簡単だからこれから大人になる私たちや下の世代、世界中に発信していきたい。それによって勉強する人が増えるべきと思いました。
勉強しないで考えるのは危険だということを勉強できてよかったです。
- 私は科学(数学)が苦手で、大学では理系の授業は絶対に取りたくないと思っていました。ですが自然領域の中からも履修しなくてはいけないということで、苦手意識を持ちながらこの授業を履修しました。ですが、今回の授業で勉強したくなくても知らなければならない事はある、という事を学び、自分が苦手な授業、自然領域を学ぶ事は意味があるのだと思いました。大学は好きなことだけを学びたいと思っていましたが、好きな事の知識を更に大きくする為には苦手な事も学んで、多くの知識をつけなければいけないのだと実感しました。今回の講義で様々なジャンルの講義を学べる桜美林大学リベラルアーツ学群に入学できて良かったと思いました。
- 科学者は自分が行っている実験の結果によってどのような弊害が起こるか、しっかりと考えるべきだと思っていましたが、大学での学ぶ姿勢において、先生のお話を聞いたときに、人のことを言える立場ではないと気付きました。人間は根本的に解決するべきものを分かっていながら目を晒しがちな傾向があると思います。
- 好きな事だけ学ぼうとしていないかというお話を聞いてその通りであったため耳が痛かった。なので本当は二年のマイナー科目をコミュニケーションにしようと思っていたのだが歴史学にすることに決めた。歴史を学ぶことで自分が今どのような時代に居るかという当事者意識を持ちたいと思ったからである。この授業を受けたおかげで自分の人生について考えたり自分と向き合う機会が増えました。受講して良かったです。ありがとうございました。
- 勉強せずに物事を考えることの危険性が印象に残りました。科学と技術は両輪のように作用し合う関係にあるといえますが、講義を通して下り坂を惰性で転がっているようだと考えられました。(中略) つまり、正のフィードバックです。私の興味があるモータースポーツの現場では、車のパワーを上げられる大前提として制動性能があることがあります。同じように加速する科学と技術の発展が進む大前提として固定概念にとらわれることなく勉強することが私たちの責任であると考えられました。
- 勉強する理由
- 今日の話は、選挙の時に話したことに似ている気がした。勉強をしないと言うことは、他人に選択を預けていることなんだなと思った。選挙もそうだが、必要なことを調べたり勉強したりしないで、選択するとその行動に参加していないことになるので、しっかりと物事を選ぶ時には、調べて考えた上で、選択したほうがいいと思った。また、勉強をしないで選択すると言うことは、洗脳されている状態とあまり変わらないような気がした。
- 核兵器の問題は大きなものだと思っていたけど、自分たちが生まれる前からあんなに戦ってきた人がいるということに驚いた。そんな人がいたという事実を知り、湯川さんだけでなく、もう亡くなってしまった先人たちの伝えたかったことやそのメッセージをしっかり受け取り、それをそれぞれが考えて自分たちの将来を作っていければいいなと思った。なにか考えたいことや自分の興味があることがあるなら、色々と意見を言う前に自分で勉強する、そしてそれを面倒くさがらないというのが、私が生きていく上で最も大切にしたいと思っていることの一つだったので、実際に「勉強しないで考えるのは危険だ」という言葉があるというのを知り改めて大切なことだなと思った。
湯川の核廃絶運動 †
- 科学の正のフィードバックによって国々は原爆、水爆の開発を止めどなく行っていました。そんな中流されることなく、自分の頭で考え平和のために奮闘した湯川教授やアインシュタインらの行動にこれからを生きる私たちは学ばなければならないでしょう。
アインシュタインは第四次世界大戦で使われる武器が石と棍棒であるということを言ったという話を聞きますが(本当か分かりませんが)、それほど彼も科学の危うさに危機感を持っていたようですね。
- 湯川さんが自分の体調が優れないのにも関わらず、自分の思いを訴えている姿に心打たれました。動画内で言っていた「初心に返る」というのは現代にも通用する大切な考え方だと思いました。
- 湯川秀樹さんの言葉が心に刺さった。核兵器の恐ろしさを戦争体験者本人から教われるのは時代的に終わりが来るから、私たちが核兵器について後世に伝えなければならないと思った。
- 原爆のビデオのところで、修学旅行で行った長崎の平和記念公演や、原爆の資料館のような場所を思い出しました。実際に被爆者の話を聞いたりして、その話は今もよく覚えています。改めて今日のビデオを見て悲惨さなどを感じました。
皆さんの世代が、戦争体験をした人たちから直接話を聞ける最後の世代とな
るでしょう。原爆だけでなく、私たちが考えなければならないことは沢山あ
ります。そのためにも学びは必要です!
- 湯川さんはきっと世界をより良いものにしようと考えながら原子核のエネルギーについて研究をしていたはず。新しいことが解明されて結果的に世界をよりよいものにすることはできたと思う。しかし、自分が研究したものが戦争に活かされてしまったのはとても悲しいことだ。
- 映像の中で湯川さんが言っていた「将来を考えたら甲斐がないから死んでもいい」という言葉はとても重い言葉だと思いました。核兵器の開発には同じ科学者達が、もしかしたら自分の過去の開発が影響している可能性もあるかもしれないのに、科学者である湯川さんが核廃絶を訴えるということは自分自身を否定することでもあったと思います。だからこそ他の科学者は核抑止論を指示することで自分を正当化して責任逃れをしていました。そんな中でも湯川さんは科学者という立場であるからこそ核廃絶を訴え続けていてすごいことだと思いました。しかしそこまで働き続けた湯川さんに「甲斐がないから死んでもいい」とまで言わせた現代人の核への固執には驚愕しました。
湯川の研究は、原爆とは、やや距離がある研究でした。しかし、原子力だけ
ではなく、あらゆる科学と技術について、悪用されたり軍事利用される危険
性があります。科学者の良心は当てにできないので、問題は、私たちに投げ
られています!
- 湯川秀樹については知っていたが、「核武装」の反対活動をしていたことは知らなかった。世界の「核兵器」に対する考えを見て、とても衝撃的だったのと同時に、一歩外に出れば自分の「当たり前」は通用しないという事を思い知らされた。
- 湯川さんが自分の研究に対して責任を持って関わっていたということがビデオから伝わってきました。科学の研究というのはも世の中を便利にすることもあるけれど、人を簡単に滅ぼすことができるものであることを、科学者だけでなく私たちも知っていなければならないことだと思いました。
- 病気になり身体の状態も悪い中、核兵器反対を常に訴え続ける姿がとても感動的でした。特に最後の演説では、身体が限界にきているにも関わらず本当に最後の最後まで力を振り絞って訴えてる姿が動画の中で一番記憶に残りました。
- 今日の講義で見た動画の中で、湯川・朝永宣言のあたりが印象に残りました。湯川・朝永宣言に署名しようとしなかった科学者たちに、被曝直後の広島の様子を録画した映像を見せていたところが、以前の授業で見た動画にあった、ホロコーストの惨状をドイツ人に見せていた場面と似ているように感じました。
- 今回の授業で一番心に残ったのは、「知らなかった」ということです。以前のナチスのお話でドイツ国民は残酷な収容所を「知らなかった」と言っていたり、今回の話でも核と共存できると言っていた人たちは、実際に被爆した状況を見たことがなかった(知らなかった)実態であったり、とにかく「知らない」ことの恐ろしさを感じました。
上の二人に指摘されて、私の中でも「知らなかった」で繋がりました!あり
がとうございます!
核抑止論 †
その他 †
- 科学・技術と私たち
- 今回は科学と技術の正のフィードバックについて学んだ。技術が発達すると化学も発達するという、良い方向に進化しています。しかし、この科学の発達により武器が進化、争いも増えるということがわかりました。せっかくの科学技術を多くの人を傷つけるために使ってはならないと考えました。
科学と技術が互いに影響して発展することは、本当に良い方向なのか?そこ
から考えてみたいです。
- 科学者は自分を正当化することが好きなため、他人の意見をなかなか受け入れられないことがあるということは、科学者失格であるなと思った。科学者と聞くと、才能のある人材ばかり想像してしまいがちだが、そうではないということが今回の授業で知ることができた。
- 本来、世界の不思議を知りたいとか生活を豊かにしたいというようなプラスの考えから、物理学という学問が発達してきたはずなのに、核兵器という人間にとってマイナスの面ばかりのことに対してその知識を使ってしまうのはそれまで物理学を育ててきた人達に失礼な事だと思うし、しっかりとマイナス面をみて、理解できていないということなのでこれについてしっかり全人類が考えるべきだと思う
人は生まれながらにして科学者であるという話をしてきました。それは、本
能で科学をしている、とも言えます。更に言えば、科学することはトイレの
用を足すことと、それほど違いはありません。科学者が「知りたい!やって
みたい!」と言うのは、「用を足したい!」と言うのとそれほど違わない、
ということです。そう考えてみると、物理学者が核兵器を作る気持ちもわか
りやすいのではないでしょうか。
「科学の研究は崇高なものである」という前提を取り払う必要がありそうで
す。
その上で、私たち自身の話をしましょう!
- 核は人類がより生きやすいように考えられたが核やダイナマイトが負の力によって殺人に使われてしまう。前回の模擬監獄のように1度負に傾いてしまう事は取り返しのつかない事になってしまう。
ということで、原子核に関する研究は、「人類がより生きやすいように」研
究されたのでもなんでもありません。しかし、後はその通りで、一度使われ
るだけで、大変なことになってしまう技術です。
- 未来は悲観的?
- 間接体験で体験する!
- 赤木さんの事件について
- 池内了著「なぜ科学を学ぶのか」
- 感情に訴えかける方策
Last-modified: 2022-01-08 (土) 08:01:09