第10回 コメント †
アイエンガーの選択 †
- 運命?偶然?それとも選択?
- 自分にとっての運命は父と母が出会ってくれたことだと思いました。毎日のご飯や洋服、将来のことなど普段何気なく選択をしているが、些細なことでも自分で選択できるというのは幸せなことなのだと感じました。
- 選択するということはたしかに人生においてとても大切なことであるけど、選択するということは後悔や、人の目線が気になってしまう時があり、そのせいでなかなか行動に起こさなかったりすることがある。そう言った部分も含めて選択というのは自分自身で決めることだから、責任感も生まれるし、その選択がいい方向に行った場合、偶然ラッキーという場合に比べて、充実感があったり、達成感があったりするんだなと思った。運命、偶然、選択という三つを並べて考えたことがなかったけど、すごく納得したし、その三つで人生が出来上がってると言っても過言ではないなと思った。でも運命的な出会いとかするとやっぱり選択に比べてきゃ!運命?!ってなっちゃいますよね!!
上手な文章ですね!コンパクトにまとめてくれました。
- 私の考えは未来確定説といいますか、全ては必然であると考えています。私は今まで多くの選択をしてきましたが、そのいずれも、例え過去に戻って何度繰り返したとしても同じ選択をするという自負があります。もちろんこれだけでは証明にならないのですが、私の遺伝子と経験、そして私以外の人間の遺伝子、経験、それらが交わって必然的に事象があるのだと考えます。「転ぶ」とかも何度繰り返しても同じ場面で転ぶと考えます。転ぶには理由があったはず。
この考え方は「物理学概論」でお話する考え方です。良かったらどうぞ。ち
なみに、同じ人生を何度も歩む、という話は、ニーチェの「永劫回帰」の思
想を思い起こさせます。「永劫回帰」の思想とは、いわば、運命さえも自分
の欲したものである(選択)として肯定しようという考え方です(私の理解)。
と、書いた2日後の 2021-12-05(土) の朝日新聞朝刊の読書欄に、ちょうど、
大沢という人がニーチェの永劫回帰の話(本のタイトルは「ツァラトストラ
はこう語った」)を記事で書いていました。高校生のころにこの本を読んで
救われた、と述べています。個人的には高校生のときに、開いてすぐに閉じ
た本でした。
- 今回の授業では、人生は選択の連続ということを学びました。大学に行って授業を受けることも、自らが選択していることで、授業をサボることの選択もできます。毎日、色々なことを選択していくなかで、一つひとつの選択を価値ある方に選択しなければいけないことを感じました。
まさにそういうことで、日々、時々刻々、選択です。
- 本能としての選択
- 野生の動物が動物園の動物よりも長寿であったという実験結果を知って驚きました。
- 犬の餌を与えるときのこんなグッツを見たことがあります。
それはボールに穴が空いているようなもので、中に餌が入れられるようになっており、コロコロ転がすと穴から餌が出てくる仕組みになっています。これを知ったとき「こんなんじゃストレスになるのでは」と思いましたが、犬にとってはこれがいいらしくなんでだろうと思っていました。しかし選択の科学のように自ら転がして手に入れる餌の方が、毎回決まった時間に置かれる餌よりいいのかなと、今回思いました。
- 選択の力(実体験)
- 私は教員志望であり、最近よく教員にとって大切な役目は何か、現代の中学生、高校生にはどのような力が必要かということを考えていた。その中の一つの答えが、外的なものとして選択肢を広げてあげることも必要だが、それ以上に内的なもので、生徒自身が選択肢の中から選択し、その選択に責任を持ち努力できる力を育むことではないかと考えていた。私も進路選択がきっかけでその後の努力の糧になっていたこともあった。そのように自分で選択することが大きな力になると考えていた矢先の「選択の力」という講義だったので考えていたことがまとまりとても有意義な講義だった。
- 私は高校受験直前に自分の学力を踏まえて、志望校を下げる選択をしました。学校説明会にも行ったことのない学校でしたが、素敵な友達に出会い充実した3年間を過ごすことができ、今ではこの決断をして良かったと思っています。桜美林大学に入学したこと、今のアルバイト先で働いていること、今日着ている洋服、人生には選択でありふれているなと感じました。
- 高校からクラス部活などほとんど同じ友達に軽音部という新しい世界に誘ってもらったことが偶然で、新しい楽器や友達、先輩に出会うことが出来たので、入部を決意したことが確実に良い選択だったと思う。
- 今回の講義では、我々が日々している選択の科学について考察しましたが、選択とは創造(←森修正)するものであるという部分が印象的に残りました。(中略)これは家庭環境や経済状況などとあったある意味生まれもった要素、つまり運命、偶然といったが全てを決定するのではなく、何をするのか、あるいは何をしないのかという選択によるものである、というように対応していると感じました。(中略)余談ですが、現在の恋人との出会いも今考えると偶然のかさなりであったと思えますが、出会いから実際に行動を起こす、気持ちを伝えるといった選択の連続が今の関係を築いたのだと改めて感じました。
- 私は学校の校則で納得行かず、先生に聞きにいったことがあります。すると帰ってくる答えには「生徒のため」とばかり言うがそれよりも地域の人からどう見られるか、学校の雰囲気を良くするためといった事が重要視されており、愕然としました。しまいには、それに理解できないなら、この高校は辞めたほうがいいとも言われました。それがきっかけで高校を辞めることになりましたが、その選択により多くの学びを得るチャンスにもなりました。
みなさん、それぞれ、素晴らしい選択をしてきましたね!私も、そして、受
講者のみなさんも、力をもらったように思うのではないでしょうか。
- 私が桜美林に入学したことも、親戚が通っていて志望校にリストアップしてみたという点では偶然であり、他の大学も合格していたにも関わらず、桜美林を選んだという点では選択だともいえると思います。私たちの評価は選択で決まるということはその通りだと思います。運命や偶然で起こった事柄を褒めてくれる人はあまり存在しないと思いますが、勇気のある選択、正しい選択をしたときに褒めてくれる人は沢山いると思うからです。運命や偶然という言葉を聞くと、自分ではどうにもできないような物事に感じますが、人生は選択できると聞くと、頑張れば良い未来を選択できるかもしれないというように希望を持って生きていけるような気がします。
カントは「欲望に従って生きるのは自由ではなく、欲望の奴隷である。良心、
価値に従って称賛されるよな行為をすることこそ、本当の自由である」と言っ
ています(森の解釈)。リベラルアーツは「自由になるための技術」でした。
だから自由についても考えたいですし、それは、選択とも関係しています!
- 選択の力
- 有名人・先輩の選択
選択の傾向 †
- 傾向と対策
- シェパード錯視のところで、人間は不合理的に考えてしまうという前提があったが、この前提こそが、自分の可能性を閉ざしてしまうことに繋がるのではないかと考えることができました。今回の例でいえば図形のように、人間には先入観や固執した考えがあるために不可能なものは不可能と勝手に決めつけることがある。
そこにも学ぶ理由があります!
- 250円の相対性
- ソーシャルプルーフ・同調
- 臓器移植のオプトイン・オプトアウト
- 臓器提供の話で、チェックをするかしないかが違うだけで、あんなに差が出るとは思っていませんでした。国や文化が違っても、そういう部分は人間は一緒なんだなと思いました。
「にんげん だもの」(相田みつを)
- 難しい問題や、考えるのが嫌な問題に対して「何もしない」という選択をするのは、日常生活においても割とあるケースだと思うが、それが臓器提供カードであのような違いを出すとは興味深いと思った。私もよく、買うべきか買わないべきか迷っているものを「明日考えよう」と先送りにすることが多々あるので共感した。
- 人間は選択を欲しているという話と、選択から逃げる傾向があるという話が印象に残っている。私自身自分で何かを選択することは重要なことであると思うし、自身で選択して生きていきたいと考えているが、自由な時間と忙しい時間であれば忙しい時間のほうが好きだ。これは何も考える必要がない、選択する必要がないからだ。選択するということには責任が生じ、失敗したときに後悔する可能性があるので、難しい選択ほど自分で決めることには労力を使う。このようなことから人間は他の物に責任を転化し選択の責任から逃れようとするのではないかと考える。選択を欲するが、選択から逃げるというのは大きな矛盾があり、この特性を理解しておく必要があると考えた。
大変鋭い指摘ですね。大いなる矛盾です!!宇宙人(あるいは神様)が地球
人を観察したら「勝手なものだな」と思うかもしれません。しかし、このよ
うな傾向があることを勉強しても、この傾向は人間が本来持っているものな
ので、ある程度しか、修正できません。少なくとも、このような傾向がある
ことを理解しておく必要がありそうです。
- 臓器移植の意志表示カードの話で、難しい問題は何も考えないとありましたが、そこは問題だと思います。以前お話しされていた、若者の政治への興味や投票について等も、難しいから後回しにして今は何も考えないという考えを無意識に持っている為、投票率が低いのだなと思いました。私は政治に興味を持たせることや、とにかく投票に行かせるという事よりもまずは、難しいことに目を向けるという環境作りから始めるべきだと思います。
なかなか手厳しい意見です。しかし、その通りですね。では、どうやって難
しいことに目を向ける環境を作るか?私の個人的な答えは、勉強することを
推奨する、です。勉強すれば、問題を考えやすくなりますよね!
なぜ、勉強するか。改めて考えるきっかけにもなります。
Last-modified: 2021-12-04 (土) 06:32:12