第09回コメント †
統計的な考え方 †
卒業研究 †
「プロ倫」 †
- 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は読もうとして諦めた過去があるので、もう一度頑張って読みたい。
- ヴェーバーの言うようにB(仮説)だけで判断してはいけないと感じました。私は社会学に興味があるため今日の講義の内容はとても面白かったです。
- 民族、国の違いが原因かを調べるために同じ国で比べるという方法は日常の問題の原因を調べるためにも使えるなと思った。
ヴェ―バーは頭のトレーニングが非常に良くできているように思います。
- 同じキリスト教でも、カトリック教会とプロテスタントでは、資本額がかなり違うことに驚いた。
現在でもそうだ、ということではなく、資本主義の発達初期にそういったこ
とが有利に働いたのではないか、という指摘であることは、改めて強調した
いと思います。
- プロテスタントとカトリックの話で、高校の時にプロテスタントとの教えは、商人に好まれたと言う話を聞いたのを思い出し、プロテスタントの方が所得が多いのは、商人が多くプロテスタントに所属しているからではないかなと思った。
ヴェーバーの研究は、商人だからプロテスタントになった、ということでは
なく、プロテスタントだからお金が溜まった、という話でした。逆に商人が
宗教を選んだか、は、ちょっと別の話になりますね。
「社会科学」と「人文科学」と「自然科学」 †
- 私は社会学が学びたくてLA学群に入学したので社会学と科学の関連には興味深かったです。
- 社会学は目的と手段を考慮する独自の視点があるという点が印象に残りました。
- 今回の授業は文系理系の根本的な違いを感じる授業でしたが、どちらにせよ科学のABCによる仮説検証のプロセスは重要であり、学問を成立させるためには重要なのだと改めて感じました。文系科目を科学的側面から考えることは思考の偏りを減らすことができ、価値観を豊かにできると思いました。
- 秋学期は社会学を履修しているので、そこで学んだ事象にも、今回のヴェーバーのように科学のABCを応用できるのではないかと思いました。その場合は、ヴェーバーも言ったようにABCのBだけで結論を出さないように気を付けたいです。
- 今回の講義で最も印象に残っていることは、人間の自由意思が入るものを科学と考えてよいのかという点だ。社会科学独自の視点として、「目的と手段」があることで、逆に起きた現象の意味がはっきりするという話があり、面白いと感じた。(中略) しかし一方で、人間のとった手段に対し、目的を一つと考えることは難しいと感じた。同じ行動でも人それぞれに異なった目的が存在したり、自分でさえも本当の目的を隠し偽りの目的をたて、手段をとってしまうこともあると考えたからだ。人間の行動、人が起こした現象は、複雑で因果関係が不明瞭であるということを感じることができた。
科学のABCの考え方は非常に強力で、説得力のある合理的な議論ができます。
特に自然科学や技術は、そうして発展しました。しかし、それだけが方法と
は限りません。それぞれの学問分野には独特の方法があります。だから、学
問分野で良し悪しがある、とは言えません。
ただ、何が反証可能か、そうでないか、科学のABCとして成り立っているか
どうか、は、チェックのために気をつけたい観点です。
- 科学と非科学を明確に区別するのは望ましくないと考えています。反証可能であってもそうでなくても日々研究対象にたいするアプローチは増えており、研究にも進展や新たな発見があります。「研究対象があり、法則があり、それについて議論を戦わせること」ができれば、それは科学だと言えるのではないでしょうか。
科学は誰もが納得するような示し方をすることで問題を解決してきました。
ところが反証不可能な事項については、確定的なことが言えないのではない
か、論拠に基づく議論できないのではないか、という疑問があるわけです。
ヴェーバーが指摘するように、仮説を並べて議論だけしても結論には到達し
ないのではないか、ということです。そこで、何が言えて何が言えないのか、
より明確にする必要がありそうです。
反証可能性 †
なぜ学ぶか †
- カール・ポパーの「反証できなければ科学とは言えない」ということに、なるほどと感じた。池内了の本にも、科学的な考え方から導き出された結論は反証できなければならないということが書いてあったように思う。そのため科学のABCに人間が絡んでくるものは、適用することが難しいと考える。今回のフィードバックで仰っていたように、人間は自分の信じているものや経験から作り上げたストーリーに固執してしまうため、意識しなければ客観的に見ることができないと思った。自分だけではない多くの人びとが絡んでくる選択は、たとえ受け入れたくない情報があったとしてもそれを確かめながら、客観的に判断する必要があると学んだ。
その通りですね。私たちは人間で、どうしても間違ってしまうことがある。
その上、人間について科学的なことが言えない場合がある。それを承知した
上で、できるだけ客観的に正しい議論をしないと、悲惨なことになってしま
うことは、歴史が証明しています。私たちがしなければならないのは、非常
に難しい問題であると言えます。
- もちろん、明るい未来が全く来ないとは言えませんが、技術の進歩が間違ったことに使われてることは無いとも言い切れません。科学の技術の発展は止めることができないという話がありましたが、それを扱う私たちの判断次第で世界は良い方向にも悪い方向にもいくのではないかと思います。
現在、例えば遺伝子操作や原子力について、このままではいけないのではな
いか、と思わせるほどのレベルまで科学も技術も発達してきています。それ
を止められるのは、私たちだけです。ところが、そうした認識を持つために
は、知識を持っていなければなりません。私は学ぶ意義はそこにあると考え
ています。
その他 †
Last-modified: 2021-11-26 (金) 13:00:23